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【ゲーセンの中の人インタビュー】プレイハウス エリナ「店長」(新潟県新潟市)

新潟市、燕三条駅から車で約20分。国道沿いに田んぼの中を走っていると、ピンクの建物が現れます。「音ゲーの聖地」プレイハウス エリナです。

プレイハウス エリナは約40年、この場所とこの建物で、ゲームセンターを展開されています。

そしてその40年間ずっと店舗に立ち続けているのが「店長」です。

エリナの常連客が「店長!」「店長!」と呼んで親しむ、そんな「店長」に、 “プレイハウス エリナと店長の40年”について、伺ってきました。

以下、「店長」のインタビューの生声です。最後までお読み頂ければ、嬉しいです!!


実はゲームには全く興味がなかった

実は、私はゲームには、全く興味がなかったんですよ(笑)。ファミコンとかセガサターンでちょこちょこ遊んでたくらいで、それもちょこちょこって感じで(笑)。

私が高校生だったか大学生だったか、その位の年齢の時に、インベーダーゲームブームが来て。私の実家が村上市にあるんですけど、そこはまあゲームセンターどころか何もない(笑)。その土地の街の食堂屋みたいなところにインベーダーゲームが2台か3台置いてあったのをちょっと遊んで。それが初めて業務用ゲームをプレイした経験です。

当時は“ゲームセンター”と呼ばれるお店はほぼなくて、オートレストランとかゲーム喫茶とかみたいな、コインレストランみたいなお店に、ちょっとテーブル筐体置いてあって、自販機置いてあって、24時間営業で、みたいな。そういう感じのお店が“ゲーセン”という感じでしたね。

「エリナ」誕生

ここ(「エリナ」の場所)は家で持っていた土地で、その土地で何か商売をやろう、という話があがったんですね。何が良いだろう、何が儲かるだろう、と、色々商売を考えました。この土地で商売はする事だけは決まって、中身は何も決まっていなかったから。当時、テニスブームだったんですよ。私も学生時代、部活でテニスをやっていたものだから、会員制のテニスコートとか良さそうとかね(笑)。あと、ボーリングもブームだったから、ボーリングも良さそう!とか。ブームのものを検討したりしたけど、やっぱり“ブーム”なのでいつまで続くかわからない。で、ふと「あ、ゲーセンやろうかな」って思って(笑)。

いざ思いついて、まずその当時のAOUの会長さんに連絡しました。というのもたまたま新潟の方だったので、昔からゲームとは全く違うところでお付き合いをさせてもらっていたからです。私が「ゲーセンをやろうと思ってる」と話してみたら「色々協力するよ」と言ってもらえました。

普通にいざゲーセンやろう、と思ってやっても、もちろんお金も全然ないし、素人だから何も全くわからない。でもそこでご協力を得られたのもあって、当時のゲームメーカーさんも協力を得て、この建物からゲーム筐体から何から何まで教えてもらって準備してもらって。もう時効だから言っても良いと思うけど、当時はゲーセンやるとなると、メーカーさんが「うちの機械入れてくれるなら、いくらか出しますよ」みたいな協力も得られた時代でして(笑)。あ、とはいっても、どちらかというと喫茶店的な。看板は「コインレストラン・エリナ」でしたし。店内ではブック販売といって雑誌を売っていたりとか、ラーメンとか自販機とか食堂とかがあって、その中にゲームコーナーがあった感じです。そういえばタイトーさんに協力してもらってメダル機も置いてたんですよ。今のウチからじゃちょっと想像つかないだろうね(笑)。もう嫁もいてくれたから、二人でやり出しました。嫁に反対はされなかったですね。

前から、結婚して女の子が生まれたら“エリナ”って名付けたかったんですよ。漢字で書くと「絵梨那」。どこから来た名前なのかは自分でもわからない(笑)し、30年前の名前にしたらかなり画期的な名前だと思います。ただ、うちは男の子だったので。それでお店につけました。昭和62年くらいかな?

今、横にある(ゲーセン・エリナと同じ土地にある)食堂、あそこも「エリナ」でしたよ。「うどん・そば、エリナ」みたいな感じの名前で、今の常連には誰に聞いても、多分知らないしわからないと思いますけど(笑)。ちなみに私も厨房に出てました。ここと食堂を行ったり来たりして、お店に立ってました。オープニングから1週間くらい、オープニング記念イベントみたいなのもやったんですよ。駐車場に電車ひいて、わたあめとか屋台とか来てもらって。これは今現在も続いていて、週末にはうちの駐車場で屋台のトラックがスナックを売ってくれてたりしています。

最初の転機

はじめは24時間営業の喫茶で、増築したりしながら徐々に商売の形を変えていきましたが、そのうち法律で24時間営業できなくなったっていうのもあるし、時代の流れでコンビニが出始めてきてやっぱりだんだんお客さんが離れていったっていうのもあるし、だったら「いっそのこと全部をテーブル筐体にしちゃおう!」っていう(笑)。最初の転機はこのへんかな。

今思えば、自販機とか残しとけば良かったと思うんだけどね(笑)。なんで撤去しちゃったんだろうってちょっと後悔してます(笑)。でも当時は新しい機械の方が断然大事だったし、今となってはですね。

その頃、ゲームからちょっと離れるけど、衝撃的だったのが“ポリゴン”でした。まだまだ、ストⅡみたいな“2D”じゃなくて。ポリゴン。ポリゴンが出たっていうのが衝撃でしたね。バーチャファイターの初代はポリゴンだったと思うけど、あれですね。ポリゴンそのものが衝撃だったですね。バーチャレーシングとかもう画期的だった。それが25年〜30年くらい前の事だと思う。その頃のゲーム機でいえば、アップライト筐体が出るかでないか、バーチャファイターが出るか出ないかくらいかな。そういえばウチにメガロも置いてましたよ(笑)。ナムコさん、タイトーさんのテーブルゲーム、メダルゲーム、ってやってって、そこからまた変わってくる。第二創業期という感じに近いかもしれないです。

このタイミングで、私はじめに「ゲーム全くやらない」って言ったんですけど、ところがその、バーチャファイター(以降VF)にハマったんですね。すごく面白いゲームだと。それで、もう、私は自分の性格がおかしいと自覚してるのだけど(笑)本当におかしいものだから、「他のゲーセンには負けたくない!ガッツリ特色を出したい!」と思っちゃった(笑)。

2023年のエリナは「音ゲーの聖地」だけどこれは3回目聖地で(笑)、最初に“聖地”と呼ばれるようになったのはこのVFの時。「VFの聖地」が最初の聖地化でした。その頃のエリナにはVF20台(対戦台なので、椅子でいうと40席)くらい置いてあって、今の音ゲーの聖地というウチの音ゲー台数よりも全然多い(笑)し、それこそプロレスのリングみたいなのを作ったり、初心者台・中級者台を分けたりとか、有名プレイヤーさんをお呼びしたりとか。ゲーメストさんとかのゲーム雑誌さんがうちまで取材に来てくれて、一緒に盛り上げたりしてました。

「エリナ杯」(店舗大会)開始

その中で、店舗大会も始めました。「エリナ杯」という名前で、第1回エリナ杯は身内だけでやったこじんまりしたものだったけど、第2回エリナ杯にはもうアルカディアさんとかに取り上げられたりして。毎週末エリナ杯やってたんですけど、有名プレイヤーも参加してくれたりと人気があって、人数で言えば200人参加とかもありました。お店に入り切らなくて(店舗前の)国道まで人が溢れて、警察が整理に来たりしました(笑)。お店から溢れていながら、でもよく参加してもらえたな、と思います。都心じゃない店舗だから出来てたのもあるのかな(笑)。VF2とかは、朝から晩までお客さんが居て、それこそキャッシュボックス1日2回回収しないと、コインシューターが詰まっちゃうような時代でした。朝から閉店までお客さんいてくれて。すごかったですね。

VF4まで「VFの聖地」でやってて、人もたくさん来てくれてた。いわゆる“常連さん”も多かったですね。今(2023年)は一人で遊びに来る人が多いけど、当時は仕事終わりに仲間と来てくれたりとかしてました。コミュニティがありましたね。

でもやっぱり、これは今も同じだけど、結婚したり就職したりしたお客さんって、生活スタイルが変わって、来なくなっちゃうんです。徐々に一人ずつ離れていって。最後はすごく寂しい感じです。VF自体も時代と共にだんだん・だんだんと、プレイヤー数が減っていってしまって。VFブームがおさまってくる頃に、エリナのお客さんも一緒に減っていく感じになりました。

2回めの転機

そんな時に、私、VFの次にイニシャルD(頭文字DAC、以降イニD)にハマってしまって(笑)。2の時に、どこか、多分お店の前の国道沿いにあったどこかのゲーセンだと思うけど、そこでイニDをプレイして、めちゃくちゃ面白くて。それこそドハマりしてしまって、エリナにも入れてみたい!と、まずは2台入れました。

入れたら、たまたま、本当に運が良いことに、イニDがうまいプレイヤーがこのお店の近くにいらしゃいまして。ガラケーサイトのイニDプレイヤーランキングがあって、その方が全一とれる人だったんです(笑)。しかもその方はイニDに限らず、ドライブゲームに関しては何でも1位取れる人だった。イニD・湾岸・バトルギア、って何でも全部良いスコア出しちゃうから、その方からエリナを知るドライブゲームプレイヤーが増え出しました。本当に、昔から、アーケードゲームプレイヤーのコミュニティはすごいですよね。SNSなんかなかったけど情報がすぐ走る(笑)。エリナは、“魔法のiらんど”(笑)とかですでにHPを作っていたから、そのHPがシェアされていって、本当にたまたま運がよくて、その方スタートで、エリナの名前がドライブゲームのプレイヤーコミュニティに知られるようになりました。

そして、ここでもやっぱり、私は腰を上げるまでなかなか重たいんだけど、一回あがるとつい熱くなりますので(笑)どうせやるならやっちゃえ!と(笑)。ゲーム機を買って置くなら私が好きなものをどーんとでっかく入れてやろうと(笑)。VFを撤去して、いろんなドライブゲームを入れて、「ドライブゲームの聖地」になったんですね。リッジレーサー・バトルギア・湾岸は4台・イニシャルD・マリオカートやスリルドライブ、クレイジータクシーもありました(笑)。毎週末、イニD・湾岸でエリナ杯やって、毎週3〜40人くらいの方が大会に来てくれましたね。

ちなみに私もイニDにハマりすぎちゃいまして、全一とっちゃったこともあるんですよ(笑)

「音ゲーの聖地」へ

その頃は、バブルで、本当に日本がお金持ちの時代でした。業務用ゲームの新作もめちゃくちゃ出てて、各ゲーセンの入り口に「来月の新作ゲームリスト」って貼られてた時代ですね。大型ゲームなんかでも「今月置いてみて駄目だったら次の月に撤去!」とか出来ていました、今じゃ考えられないけど(笑)。

あと、プリクラが流行りましたね。アトラスさんのプリント倶楽部が出て。エリナにも、その頃のエリナは鉄拳とかメダルゲームとかも設置していたんですが、お店の入口すぐのところにクレーンゲーム機10台とプリクラ3台を並べて置いていましたね。このあたりの地域のゲーセンではエリナがプリクラ設置第1号でした。これも今じゃ考えられないけど、エリナのお客さんの9割が女子学生だったんです(笑)。華やかな時代でした(笑)。クレーンゲームにルーズソックス入れてたんですけどばんばん取られてて、プリクラとクレーンゲームに女子高生が並んでくれてたりね。プリクラのシール切り分け用のハサミを置いて、プリ帳用の台とかも置いて、女子高生の聖地、といっても良いかも(笑)。その内、駅が近い他店さんがプリクラを置くようになって、女子高生はそっちに流れていったから、プリクラは減らしていって、無くなりましたけどね。

同じく、ドライブゲームも人が減っていきました。VFみたいに、だんだん生活の変化に伴って人が減っていっちゃう。寂しいものですよね。

そのくらいの時期に一回、私ももうやめようと思った事がありました。もちろんコロナウイルスとかのずっと前です。やっぱりね、既に、徐々にゲーセンが厳しくなってきてましたから。「どうしようかな」って思いまして、やめようかなって。それで、仲間にお店任せたことがあるんです。自分は引退しようとしてたから。そうしたら、そいつがうちのお金全部持って逃げたんだよね。だから「ああこれはまた自分がやるしかないな」と決意しました。

だからね、そもそもゲームセンターっていう商売が厳しい状況になってきている時にまた「やろう」って思ったって事なんですよね。だからそのまま続けても難しいし「何かないかな?」って考えました。その時、“音ゲー”という機械が出てきてたんですよ。beatmaniaですね。その頃って beatmania は個人店舗では入れてもらえなかったんですよ。そこをなんとか頑張って、最初にjubeatを1台、買って入れました。そうしたら、jubeatを目当てにした新規のお客さんがきてくれるようになって。それで「音ゲー、面白いんじゃないか?」って考えだしました。

ここでも、やっぱり、なかなか私は腰があがらないんですけど、一回腰があがってあがると本気でやってしまうんですね(笑)。うちは音ゲーは置きだしてまだ5年前とか浅いんだけど、ⅡDXを入れたらTwitterとかで告知する前にどこかで聞きつけたかお客さんがいっぱい来てくれたんです。昔エリナに来てくれていた人がまた来てくれるようになって、徐々に増え始めて。音ゲー始めて2年で、これだけ機械揃えるの?!っていうくらい、音ゲーに特化した機械を揃えましたね。もう手に入らない、日本に1台しかないクラスの本当に珍しい音ゲーの機械を揃えたり。お客さんもたくさん来てくれて・・・のですが、でもすぐコロナ、みたいな感じですね。

プレイハウス・エリナの今

やっぱり 40 年もやってて、このお店の外観はまだ昭和が入っているけど、その当時はどの機械でも「置いておけば儲かる」だったんですよね。何でも良かった、機械を置いておけばお金が入りました。でもだんだんそうではなくなってきて、じゃあ、他のゲーセンさんにおいていかれないようにとか、他のゲーセンさんでは遊べないものって何だ?とか、そういうふうにいつも考えて、それに私の性格が加わって、ゲーセンとしては尖ってきたかなと思います。

でも、今は、それ(特化型、尖った形)にすごい悩んでいます。現状ゲーセン全体のプレイヤーが減っている中で、音ゲーのプレイヤーもとても減っています。「このままではやっていけない」と。配信とかエリナ杯とか、やれるだけのことは考えてやってはいますが、正直厳しいですね。他店さんはプライズの割合増やしたりとかやってていて、そうしないと経営が難しいのもよくわかる。だけど、うちはそういう事ができるゲーセンでもない(立地もそういう立地ではない)し、どうしていったらいいんだろう、って。

昔の話は朝まででもできるくらい楽しいんですけど、今の話はもう「厳しい」しかないです。ひょっとしてこんなに厳しいのはうちだけかな?とかも思うくらい、本当に厳しいです。もともと音ゲーの聖地になる時には景気と売上が下降気味で、そのままコロナ渦に入って。ぶっちゃけた話、お客さんの数でいえば、コロナ渦に入る前の半分しか来られていないです。全然回復しないんです。やっぱり一回離れたお客さんって、本当に戻って来てくれないんですよ。エリナは場所が悪すぎるというのもあって、本当に常連さんが来なくなっちゃった。もちろんエリナという一つのゲーセンだけの話ではなくて、音ゲープレイヤーが減ってること、ゲーセンユーザーが減ってることもあると思います。ゲーセンユーザーが少なくなっているから、そもそも少ないユーザーを大手さん含めて取り合う構造だったりもします。

昭和・平成・令和と40年ゲーセンからコミュニティを見ていると、コミュニティの作り方とか楽しみ方とかも変わっていってるのも感じます。あとゲーセンよりも、楽しい(楽しそうな)事の生まれる速度がとても早い。新しい話題をさらうゲームが家庭用で・アプリで、どんどん始まるし、ゲームでなくとも新しいエンタメがどんどん発表されていっている。基本的にお客さんの取り合いではあるので、全部が影響しあってこうなってるんだと思います。わざわざゲーセンに行かなくても楽しいことがたくさんあるんでしょうね。

他の楽しみが増えているので、ゲーセンに来てくれても使う金額自体が減っていっているかもしれないですね。昔は、朝から閉店までいる人とかたくさんいて、その分お金も使ってくれてましたから。また、業務用ゲーム機の値段も高騰していて、買いたくても買えない、やりくりして出せるような金額ではない機械ばかりです。機械の値段といえば、プレイ料金100円の話もありますね。消費税とか電気代は、本当にやばい。エリナの冬は大雪で寒い地域なので燃料も必要です。40年1プレイ100円で、値上げが出来ていないのに、コストがあがりすぎている。せめて100円が全部お店の手元に入ればいいけど、半分以上はメーカー課金や経費で取られてしまうので手元には本当に残らないです。昔みたいな基板売りももう無いし、105円とか110円とか値上げ設定は難しい、もし値上げ設定したとしたらユーザーさんは100円やPASELIでもっと安いプレイ料金のお店を探して移っちゃうだろうし、音ゲー以外のゲームや事業を総合的にやっておられる大手さんはひょっとしたら出来たりするかもしれないけど、中小や個人でやっていくのはやっぱり厳しいなと思います。

コストバランスが取れていないのを見直してほしいとか、新作の面白いゲーム機をもっとどんどん発表してほしいとか、などなど、業界としてなんとかしてほしいっていう期待や要望はありますが、今のところはまだ光が見えていないですね。

お客さんに楽しく遊んでいってもらいたいだけ

今は「音ゲーの聖地」ではやっていけないから、どうしたらいいかないいかなってずっと考えています。他のゲームジャンルで人気のものとか出てるから、そういうのも考えようかとか。

でもSNSを通して、常連さんたちのおかげで「音ゲーの聖地・エリナ」として名前は売れました、知ってもらったから。音ゲープレイヤー全体の中で、エリナを知ってくれている方は多い(と思う)ので、そんなエリナから音ゲーを下げたら、皆さんの期待と変わっちゃうよな…と思うとなかなか踏ん切れないのもあります。エリナは「聖地」と言われるようなバランスの悪さできてるから(笑)、ここで格ゲー増やしたりプライズゲーム増やしたりして、音ゲーを期待して来てくれたお客さんはそれを見てどう思われるのだろうか…と。

うちは無駄(な機械)が多いんですよね(笑)。絶対に平日は電源いれないってわかってる、遠征の方向けの、レアな、古い音ゲーの機械が結構面積を占めてるんです。音ゲーの博物館みたいな感じですね。現行のゲーム機の方が少ないかもしれないです(笑)。でもそういう機械は殆ど動かないので、本当にお金にはならない。レアな旧作は、毎日プレイされる機械じゃないから、インカムは悪いんです。音ゲーの常連さんたちは絶対に現行のゲーム(例えばⅡDXの新筐体)しかプレイされませんので。今、この貴重な、レアな機械を守るために、必死で頑張っている感じです。今もしエリナが力尽きちゃったら、この貴重な機械は、日本からというかこの世から無くなっちゃう。そこはやっぱりできる限り守っていきたいんですよね…。

一方で、昔からのビデオゲームや麻雀ゲームなどの売上は実は今安定しています。ということは、近所にお住まいで音ゲーとか関係なく、エリナに日々来てくださっている方がおられるということなので。その方たちの志向にあわせていく事も考えたいなとも思って、悩んでいます。

私は、単に、このお店のこの空間で、お客さんに楽しく遊んでいってもらいたいだけ、それだけなんですけどね。ゲームセンターって結構、交流の場っていうか、趣味で集まれる貴重な場所を共有しあって楽しめる場というか。他のコミュニティもあると思うけど、それと同じで各コミュニティが盛り上がってる中だから、ゲーセンもその仲間でもっと使ってほしいなというか。オンラインでなく、肌で感じられている場というか、そういうところがだんだん減っていってるから、貴重な場であると思うんです。お話したとおり、私自身エリナを始めた当時からゲームに興味はなかったから(笑)。本当にゲーセンやろうなんて頭に全くなかったし、未だにどこかのお店に行って100円入れてゲームすることもめったにないくらい(笑)。ゲームが好きなのではなくて、ゲームをやっている人、お客さんがわいわいギャーギャー言ってるのが好きだから。見てるのが好きなんです、自分がやるよりも。

最後に

今やりたいこと

今やりたいことは、休みたい(笑)。体が動かないし1日寝てたい1週間寝てたい、気力はあるけど体力はないです(笑)。もっと儲かってる時はバイトもいれられて、自分も週1回休みがあったけど、今は人件費払う余裕もないし、老体に鞭打って頑張っているので(笑)。もちろんいろいろ挑戦もしてみたいけど、体力(身体という意味でも、金銭という意味でも)がもたない感じです。3年後の夢という意味なら、もう年金で楽したいっていう(笑)。年金もらいながら趣味で店やってるくらいがいい。好きな時間でやってるくらいがいい。経営で考えるときついですね。

普段ゲーセンに行かない方へ

自分は考えが古くて、40年前からだから(笑)、昔は悪い人がいるイメージだったと思うけど、今は本当に楽しいところだと思います。あと、もう「昔のゲーセン」っていうのを知らない人も多くなってると思うけど、その人たちには、普段の生活、家とかスマホとかでは楽しめない、肌で感じる、体験ができるゲームっていうところを、感じてほしいなと思っています。

同業者の皆さんへ

個人店でやってるところ、小規模な店舗、中小企業の皆さんはどうされるんだろうって思っています。どうやって経営してるんだろうか?とか「ただ楽しく遊んでほしいだけ」という思いはやっぱり一緒なのかな?とか。個人店・小規模店・中小のゲーセンで耐えられる限界っていうのは、もはや超えてきているのではないか?少なくともうちは2〜3年前にもう超えてしまっているので、オーナーはみなさんどういう思いで、どうやって頑張っておられるのかなあと、聞いてみたいと思います。この先見えない中で頑張るしか無いけど、その頑張り方がわからないっていうのは本当にしんどい。なんとか居場所を守りたい、守っていきたい、一緒に頑張っていきましょうっていう感じです。

常連さんへ

うちの常連はエリナが潰れないと思ってるから(笑)。もう本当に潰れた時にやっと「プレイしに行くからやめないでほしい」って言われるんだろうけど。でも本当にもうしんどいんですよ、ってことは伝えておきます(笑)。

日本で大事なこの場所を、長く保っていきたいと思っています。本当にしんどいけど(笑)。「ゲーセン文化」がうまくいってほしいですね。


店長、お忙しい中、ありがとうございました!

一緒に「ゲーセン文化」守り抜きたいし、新しく構築していきたいと改めて思います。

皆さんと一緒に、また遊びにいきます!!

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