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【ゲーセンの中の人インタビュー】VGMロボット(埼玉県深谷市)しのさん-前編

埼玉県深谷市。籠原駅と深谷駅の中間あたりに立地しているゲーセンが「ビデオゲームミュージアム ロボット」通称“深谷ロボット”です。

店名に“ビデオゲーム”と冠がついているとおり、店内に一歩入れば圧巻のビデオゲーム台数。ブラウン管のビデオゲーム機がずらっと並び、壁にはトップスコアラーの名前が点数と共に貼り出されています。ひと目で「ビデオゲームを愛する人たちが集っているんだろうな」と思わせる店内です。

そんな「ビデオゲームを愛する人たち」の1人でもあり、「深谷ロボットの店員」でもあるのが、「しの」さん。現役ビデオゲームプレイヤーでもあり店員でもあるしのさんから、お話しをお伺いしました。

前後編となり、読み応えもガッツリです!ぜひ最後までお読み頂ければ、嬉しいです!!


ビデオゲームミュージアム ロボット 深谷店

〒366-0052 埼玉県深谷市上柴町西4丁目12−1

youtubeアカウント:https://www.youtube.com/@VGM_Robot

プレイヤーでもあり店員でもある。とにかくただゲームが好き。僕は永遠の“中二”だと思う。

僕の自己紹介としては…そうですね。“深谷ロボット”に入って 4 年目になります。店員でもありゲームプレイヤーでもあります。プレイヤーとしてはスーパーストリートファイターIIXにのめり込んでいて、本田使いですね。界隈では“しの本田”と呼んでもらっています。実はもともとはブランカ使いだったんですよ!

ちょうどこの間50歳になったところなんですけど、僕が子供の頃のゲーセンって、“不良のたまり場”って言われてた時代です。“ドンキーコング”とか“マリオブラザーズ”とかが稼働していました。ここ(注:テーブル筐体のコンパネの上)にお金を積んで、連コインというか、プレイするんです。当時は不良といわれる人たちも多かった。彼らは 50円玉に糸をつけて入れて、すぐ抜くみたいなことやってた時代……不良のたまり場の表現であって僕がやってたとかじゃないですよ(笑)!!もし僕がやってたらこれ絶対言えないですもん(笑)。

そういうことを、不良と言われる皆さんが、やっていた時代でした。世代でいうと、団塊世代っていう、有名人でいえば元SMAPのキムタクさんとか中居さんとかが全く同じ学年だったりするんですね。ガンプラ世代であり、ファミコンデビュー世代であり、ドラクエデビュー世代でありっていう。ストⅡは、僕が高校卒業するくらいのタイミングで発売されまして、そういう時代・世代です。

僕は、生まれは中野なんですけど小学校 2 年生で引っ越してきて、今と同じく埼玉の、深谷の隣町に住んでいました。そのくらいの時にファミコンとか出たんです。実は僕、家がそういうのを許さないのと、ゲーセン行けるほどのお小遣いが無いのとで、ゲーセンに行きたくても行けず、っていう子供だったんですね。ファミコンが出て、学校っていうか世の中がゲームゲームってなってましたけど、僕の家はそういうの許さなかったの。

だからかもしれないけど、僕はすごくゲームをしたかった。家でゲーム出来ないから、ゲーセンでやることになる、でもそもそもゲーセンに行くお金がない。だからまずは“ゲーセンで遊べるお金を作らないと”ってことで、小5〜6 年ぐらいの時にね、とあることを思いついたんです。

何かというと、河原をね、くまなく歩くんですよ。3〜4 時間。くまなく河原を歩いて、コーラとかファンタとかの空き瓶を河原で見つけてくる。それは河原にあるものだから苔とかついてて汚いわけですよ。それを超キレイに、すげーキレイに磨いて、洗って、いかにも「昨日自分が買って飲みました!」って言わんばかりの顔で、駄菓子屋さんにピカピカに磨いた空き瓶を持っていくんですね。当時の駄菓子屋さんは、店で買ったコーラとかファンタなら、飲み終わった瓶を10円だか20円だかで引き取ってくれるシステムだったから。友達2人で4時間とか河原で瓶を拾って、洗って、持っていって、引取額100円みたいになる。それを友達と50円ずつに分けて、で、 30円でアイス買って、 20円でミサイルコマンドーをやるんです。その、1〜2プレイがどうしてもしたくて、4時間ゴミの空き瓶拾って洗ってリサイクルして、プレイして、終わったら「あーまたゲームやりたいなー」って言ってひたすら河原を歩きなおす(笑)。それが幼少期のゲーセンの思い出です(笑)。

でも多分、この世代、みんなやってるんじゃないですかね?空き瓶を持っててお金もらうっていう、もう地球に優しいですし、親にも優しいですし、お店…には、ちょっとかもしれない…けど、エコですから…時効もあるし…駄菓子屋さんには許してほしいですね…。

その後、中学生になってからはゲーセンに行ってない。行ってないっていうか行けてない感じです。繰り返しになるんですが、そもそもうちの家がゲーム禁止だったので。…うちのお母さんがゲームをすごい毛嫌いしてて“絶対的にゲームはダメ!”みたいなスタンスでして。でもうちのお父さんは、もうゲーム大好き(笑)。インベーダーとか超やってた人。なので、妹も加えてお父さんと僕、 3 人で、お母さんから目を盗みながら“どれだけゲームができるか?”っていう感じでした(笑)。

具体的には、家の中にファミコンを隠して置いておいて、お母さんが車で買い物に行ったらバッって3人でファミコン出してセットして遊ぶ。で、帰ってきた車の音がしたら「帰ってきたぞーーーッ」ってバーーーって片付けて、何食わぬ顔で「おかえりー」ってお母さんを迎える(笑)。“あー間に合った”みたいな(笑)。っていうけど、多分お母さんにはバレてたと思うんですけどね(笑)。

こんなふうに、母親の目を盗んで、お父さんも絡んで、家でファミコンやるって感じだったから、お父さんからそもそも中二病気質、血筋かもしれないです(笑)、僕も多分“永遠の中二病”だと思うので。多分やってることが昔と今と変わってないかもしれない(笑)。

ゲームが、どうしてもどうしても、どうしてもゲームがしたい。

再びゲーセンに行きだしたのは高校生。高校から塾に通うようになってまして。熊谷にある塾に通ってたんですけど、その時住んでいた町にはゲーセンは無かったものの、当時の熊谷にはそれなりに、結構な数のゲームセンターがある地域だったんですよ。今は無くなりましたけど。で、塾に行きだした当初から、塾帰りにちょっとゲーセン寄って遊ぶって感じになりました。

ところがもう、そのうち、塾には全く行かなくなりました(苦笑)。親から日に 500円、高校の学食代をもらってたんです。その500円を使わないでおき、「塾に行く」と言いながら塾には行かず、ゲーセンへ行く。で、その当時まだテーブル筐体の、TATSUJINとかグラディウスとか、そういうのをプレイしていました。

学食代を使わないっていうことは、昼飯を食べていないということ。だから毎日午後の授業・ 5 〜 6 時間目の時には、お腹がずっとなってるんですよね(笑)。昼食時間直後の教室で、自分だけグーグーお腹ならして(笑)。もう、全部が“ゲーセンに行くための努力”なんですよ(笑)。結局、家でゲームを禁止されている、だけどとにかくゲームがやりたくてやりたくてやりたい。だから努力する。

テトリスのイメトレっていう努力なんかは、もう、散々しましたね。お金が無いから、いざゲーム機にコイン入れる時には“最高”の状態でプレイしたい。それでイメトレするんです。鉛筆に番号を書いて、テトリスのブロックの形も紙に書いて、ブロックごとに数字をふる。で、鉛筆を転がして出た番号に該当するブロックを、実際机に置いていって、「あ、こういう積み方だと良いぞ」っていう。すげぇバカみたいな努力してました(笑)。本当にゲームに努力を惜しまなかったなあ。テトリスは多分学校で一番強かったと思いますね、誰にも負けなかった。とにかく毎日、ゲームゲームゲームゲーム。ゲームに飢えてましたね。

高校卒業をして、大学受験失敗したので、その春から高田馬場にある予備校に通い始めたんですね。その年がスト2の全盛期なんです。夏くらいにダッシュ(注:ストリートファイターII’)が出て、ゲーセンに対戦台が一気に出てきてっていう時。もう本当に、スト2の大ブームが起きて。僕ももちろんプレイして、結果、もう寝ても冷めてもスト2のことしか考えられなくなっちゃいました。ゲーメストのムックを買ってたんですけど、もうバカですよ、お風呂の中でまで読んでました(笑)。当然、ボロボロになりますよね(笑)。「友達よりもちょっとだけ優位に立ちたい」っていう中で、ゲーメスト買って、毎回毎回読み込んでましたね。

その時は、“対戦で勝ちたくて”読むというよりは、スト2の“あらゆる情報”がほしかった。まだガチ勢ではなく、エンジョイ勢です。対戦は怖くてやってなくて。日々そうやってスト2の勉強をしていると徐々に、技名も覚えだして、次に通常技を覚えだして、知らない人との対戦はまだあんまり面白いとはなってなかったですけど、ワイワイ仲間内では対戦をはじめてね。高校の頃に塾をサボった話しましたけど、次は予備校もサボり始めた。し、夏期講習代として親にもらったお金も「領収書もらうの忘れた」とか言って全部 スト2に入れてました。まあ…今考えれば、全部親にはバレてると思うんですけどね(笑)。そうやって、勉強は全くせずに、ずーっとバイトとゲーセンに明け暮れっていうのをやってて、で、結局僕は大学受験は全部失敗して、大学行かなかった、行けなかったんですね。

結局もうあれですね、勉強全くしなかったので。なんかゲームがどうしてもどうしても、どうしてもゲームがしたくて。ゲーセンで上手い人の動かし方を見て、こういう感じでこうやるんだって見て覚えてノウハウ盗んで、“これができるようになった!次はあれをやれるようになるぞ!”って。

勉強はしなかったから結果出なくて、ゲームは努力した分結果出てっていう感じです(笑)。テトリスも全カンストしてましたし(笑)。

ゲームと集客が、同率くらい、同じくらい楽しくて、営業にのめり込んだ。

大学受験失敗後はフリーターになりました。警備員です。警備員の仕事は4 年ぐらいやったかな?時期でいうと多分94 年?くらいかなと思います。その時、ゲーセンに行かなくなったんです。コンシューマソフトの収集っていうかそういうのにハマりだしまして。警備員なので自転車でいろんな現場に行くんですけど、毎回現場が違うんですね。いろんな所に行くから、その行った先の町の中古のファミコンショップに行くんです。毎回違う場所のいろんなファミコンショップに行っては、中古ソフトをガチであさって、集めてました。

思い出としては、板橋にあるショップに行った時。僕と友達があまりにも真剣にソフト探ししていて、めちゃくちゃ真剣にあさりすぎてたみたいで、店員に「あなた達どこの業者なの?」って言われまして(笑)。いやいや業者なんかじゃない、こっちは趣味に真剣なんだっていう(笑)。「業者じゃないの?」「違いますよ!」「そんな真剣に見てるから」「いやそりゃ真剣に見ますよ!」ってやり取りがありましたね(笑)。バカなんですね僕、何やっても本気(笑)。

そんな感じで、まあ業務用で新作ゲームが出たら1回ゲーセンに遊びには行くんですけど、プレイして「あー、俺ゲーセンでは出来できねえな」ってなってました。この頃は、僕にとってゲーセンは“たまーに行って行ったらなんとなくそこにあるゲームをなんとなくやる”みたいな場所でしたね。

その後、警備員から営業マンに転職したんですが、転職先の営業会社が、本当にブラック企業だった。もう一点の曇りもない、真っ黒(笑)、カラーチャートで言えば 000000 (笑)。とにかく絵に書いたようなブラック(笑)。僕は、コピー機とかのオフィス系用品・ホームページ作成サポート・レンタルサーバーなどの営業でした。ずっと赤字営業マンでして、なので途中からマーケティングの本とか読んで、勉強し始めたんですが、そうしたら、そこから集客が出来だしたんですよね。それで、営業が面白くなって、のめりこんじゃって。集客っていうかマーケティングっていうかそっちの方に目覚めてしまった。ゲームは“本当にたまに見るやつ”くらいの順位になりました。相変わらずいろんなゲームは買ってはいたんですけどね、買っただけで。僕の中では、ゲームをするってことと集客とが、同率くらい、同じくらい楽しいものだったんですね。

プライベートも仕事もゲーセンに。今の僕の、始まり。

で、ここからがやっと大事な話なんですけど(笑)、その営業マンを 10 年とかやった後やめて、こっち(注:深谷)に戻ってきたんです。というのが、今はもう無いんですけど深谷駅前に「深谷F1(アミューズメントF1深谷店)」ってゲーセンがあって、そこで働きはじめたんです。ゲーム・ゲーセンから離れていたと思ったら、いきなり職場がゲーセンになって(笑)。2008年から3 年くらいいたかな?深谷F1が 2010 年 10 月かな?に、閉店するまで、働きました。

その頃僕は家庭用のエックス(スーパーストリートファイターIIX、以下エックス)をプレイしてたんですが、F1の倉庫にエックスの基板があった。で、事務所にはアストロが置いてあったので、そのアストロにエックスを入れて、僕が事務所で遊びだしたんです。遊んでいるうちに「なんかこれ店舗に持ってってもいいかな?」って思って、事務所から店舗に移したんですよ。

そうしたら、誰もプレイしない。鉄拳 5 やギルティギア(注:ギルティギアアクセントコア)は、店舗大会まで出来ているのに。そこで「じゃあエックスでも大会やろう!」って店舗の対戦会を企画したんです。

ただ、インカムは 0 に等しい状態、僕が入れたお金しか入っていない。企画はしたものの「大会、成り立つのかな?」っていう不安があった。そうしたら、当時籠原にリンリンってゲーセンがあったんですけど、そこの店長だった方が、北関東に有名なブランカ使いのプレイヤーさんを紹介して下さいまして。

その方、スト2界では有名な人で、その方がリンリンで大会を主催したら全国からプレイヤーが集まるみたいな、本当に北関東でエックスを盛り上げていた立役者みたいな人なんですよ。ちなみに当時、対戦させて頂いたら、あまりにも差がありすぎて。言ってもこっちも友達と毎日やってるし毎日プレイしてるからそこそこ自信はあったんですけど、もうボロ負け。次元が違う。「キャラを動かすっていうのと戦うっていうのとは違うんだ!」って、その時初めて知りましたね。

その方が、どのキャラを使っても強かったんですよ。ただスーパー本田は使うんですけど、エックス本田だけは使わなかった。「エックス本田は(使わないから)わからない」って言われたのを、僕が何を勘違いしたのか「じゃあエックス本田を使えばこの人に勝てるかもしれないのか」って勘違いして。で、使い始めたのが、今の僕の、“しの本田”の始まりなんですね。

この辺りから色々今の僕が出来始めてます。一度、強豪プレイヤー・強い人しか集まらないとんでもない大会をやったんです。参加者はトッププレイヤーしかいない。みんな強い。本当に、本物は強い。しかも、そういう人達は実況もすごくうまくて、直に聞いて「あ、実況って、本物はこんなレベル高いんだ!」とか。“本物”は何から何まで、もう、レベルが違う。わけがわからないレベル。ものすごく刺激を受けて、「ああ、こんなふうに盛り上げていきたい」って心底思いましたね。だからいろんなことを企画としてやっていこうと思いました。

閉店によりゲーセンを離れ「対戦会を主催するプレイヤー」となる。

僕はずっと、プレイヤーであり店員であり。どちらでもある。プライベートも仕事もゲーセン。対戦会の時に多いのは、ワンオペ中の店員としてそこにいて、でも試合にも出場するパターン。だから、対戦のラウンドとラウンドの間に「お客さん何か困ったりしてないかな?」ってフロアをキョロキョロ確認したり、ちょっとでも店内で“ガチャガチャッ”って音がしたら試合中の対戦相手に「ちょっとごめん!」って捨てゲー(注:プレイを途中で放棄すること)して「お金流れました?」って対応しにいったりとか。そういう感じでした。

エックスはオフラインが当たり前(注:コンシューマゲーム機でのオンライン対戦ではなく、ゲームセンターでプレイする)だったし、深谷近くの草加とか宇都宮とかのコミュニティの人たちと仲良くなって、定期的に大会をやり続けられていて。

そうしたらなんと 、2010 年の闘劇で、F1が、エックスの店舗予選の“関東最終決戦の会場”になったんですよ。元々全く Xエックスのプレイヤーなんか全然いない・インカムゼロだったお店がですよ。これはね、結構すごいことなんですよ。闘劇自体は、2008年に一応「店舗予選に使ってもらえないか?」とか1回だけ考えたことはあった。だけど、その時はあんまりちゃんとした運営もできなかったです。でも、2010 年、ついに最終決戦会場になれた。当日は、本当に、名だたるプレイヤーたちがたくさん参加されました。

ただ、そこまでいけたんだけど、でもその2010年にF1が閉店してしまって。僕はお寺の寺務員に転職しまして、同時に僕のゲーセンスタッフの歴史もそこで一回幕を閉じました。ただ、営業マン時代の転職と違ったのが、プレイヤーとしてのゲーセン通いはやめなかったこと。転職した後も仲間うちでの対戦は続けてました。今はもう無いですが籠原にあったレッドハウスってゲーセンで、 2年間ですかね?やってました。F-1仲間とかもみんなレッドハウスに移ってきていて、レッドハウスで2年遊ばせてもらいました。だけどレッドハウスも閉店するってなって、いよいよ行けるゲーセンが無くなって。

深谷ロボットに移って対戦会を主催したのが、今の社長と出会ったきっかけ。

ここで深谷ロボットの話に辿り着くんです(笑)。当時の深谷ロボットは、エックスが一応1セットだけあったんですよね。あったんですけど、対戦会とかイベントみたいなものはやってる感じはなかったです。ただ僕らプレイヤーは、行く所がなくなったから、深谷ロボットに集まるようになって。で、なんか自然に「対戦会やりたいね」ってなって。

それでロボットの店員に相談して、ロボットで対戦会を始めさせてもらったんです。それが今から5 年前くらいかな。最初は、金曜日に1プレイ50円でインカム入れて対戦会をやらせてもらい。2 回目以降は、第 3 日曜日にフリープレイで1セット3,000円で借りて、やりだした。自分たちで集客して、企画して、参加者にツイートしてもらえる方法を考える中で、オリジナルチロルチョコ作って配ったり、可愛いコスプレイヤーさんに来てもらってエックスキャラのコスプレしてもらったりとか、そういうのもやりました。そのうち3セット借りて、5セット借りて…、って大きくなっていって、一番多くて7セット借りていました。

この対戦会にはコンセプトがありまして、最先端(ゲームセンターのゲーム)を通じて地域に貢献をしたかった。ただ自分たちでプレイしたいだけっていうことではなくて。地元の人にとっては、地元じゃない人が、あちこちから深谷に来るってことですよね。遠方から来るってことは電車乗ってくるわけですから、だから例えば微々たるものだけどJRが潤うよねとか、例えばこの辺でなんかご飯食べるとかジュースを買うとかするよねとか、当然ゲーセンにしたら エックス以外のゲームもやってもらおうとか。何かしら深谷でお金を使っていくということで。ピーク時には、80人もエントリーもらえるようになってね。

そうやって続けて、で、1 年経った時に「 1 周年記念イベントをやろう」ってことになったんです。その中で、いつもでかい規模で対戦会やらしてもらってて、お店にもすごい感謝があったんで「ロボットの社長にお礼を言いたいね」となりました。そこで社長と縁がある方たちに「1周年おめでとうございます」のコメント動画をもらいに行きまして。3rdStrike対戦会主催の中心的な動きをされている方とか、社長と縁のある業界の有名人お2人とか、有り難いことに出演してもらいました。皆さん快く「山崎さん、今度また飲みに行きましょうね」っていうのを入れてくれたんですよ。間接的に社長に感謝を伝えられましたね。

そうしたらその大会直後くらいに、山崎社長から僕に連絡が来て、直接お会いすることになったんです。お会いしたその場で「今仕事何やってんの?」って聞かれて。本当にちょうどその時働いていた工場をやめるところだったもので、「次は何も決めてないですけど、今の仕事をやめるところです」って話したら「じゃあウチで働きなよ」と。それで、入社しました。

<<前編終わり>>

後編「今の仕事のメインは、“ゲーセン店員”ではない。」へ続きます!

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